子供たちにとって公園で泥まみれになったり、川に遊びに行ったりすることが、非常に大切な事だと思っています。それはお子さんの欲求を満たすだけでなく、外に出ることによって他者との触れ合いが生まれるのも大きい気がします。
なかなか他の子と馴染むことが出来ませんが、ブランコ、砂場でのシャベルの奪い合いなどで接点があるからこそ、我慢することも段々と覚えていけると考えています。
また他の子供たちにとっても障害児と接することで、こういう子もいるんだと知ることができることも大切だと思います。
大きくなってからだと、自分と違う人に対して差別の心が生まれやすいですが、小さい時から接していると、同じ人間という枠の中で障害児を認識できると思います。
世の中では、障害児と健常者と分けて考えがちですが、私たちは同じ人間としての枠で考えて欲しいと願っています。
私を例にとれば、近眼ですので軽い視覚障害者と言えますし、話すことが苦手なので得意な人と比べればかなりの障害を負っていると感じています。
そういう観点に立てば全ての人が何かしらの障害を持ちながら生きているのでしょう。また、障害者と言われている方達でも私より遥かに絵が上手な人がたくさんいますし、図形などを見た時のひらめきなど、とてもかなわないなぁと思う人もいます。
人それぞれ得意な分野があってその個性を伸ばす一方で、助けが欲しいときにはこちらが出来ることであれば喜んで手を差し伸べてまいりたいと思います。
また地域には心から湧き出る本当の福祉をしている団体がたくさんあります。各団体にはそれぞれの特徴や得意な分野があり、そういう団体の方たちとの横のつながりも大切にしていき、利用者さん、私たちも含めた地域の皆で住みよい場所をつくっていけたらと思います。
歩々路(ぽぽろ)代表 山尾恭介
★歩々路(ぽぽろ)のロゴマークは このお話に感銘してデザインしました★

インドのある水汲み人足は、2つの壷を持っていました。天秤棒の端にそれぞれの壷を 下げ、首の後ろで天秤棒を左右にかけて、彼は水を運びます。
その壷の1つには、ひび が入っています。
もう1つの完璧な壷が小川からご主人様の家まで、一滴の水もこぼ さないのに、ひび割れ壷は人足が水をいっぱい入れてくれても、ご主人様の家に着く頃は、半分になっているのです。
完璧な壷は、いつも自分を誇りに思っていました。なぜなら、彼が作られたその本来の目的を、彼は常に達成する事ができたからです。
そして、ひび割れ壷は、いつも自分を 恥じていました。なぜなら、彼は半分しか達成する事ができなかったからです。
2年が過ぎ、すっかり惨めになっていたひび割れ壷は、ある日、川のほとりで水汲み人足に話しかけました。「私は自分が恥ずかしい。そして、あなたにすまないと思っている」
「なぜ、そんな風に思うの?」と水汲み人足は言いました。
「何を恥じてるの?」
「この 2年間、私はこのひびのせいで、あなたのご主人様の家まで、水を半分しか運べなかった。
水が漏れてしまうから、あなたがどんなに努力をしても、その努力が報われる事がない。 私はそれが辛いんだ」
と壷は言いました。
水汲み人足は、ひび割れ壷を気の毒に思い、そして言いました。
「これからご主人様の家に帰る途中、道端に咲いてるきれいな花を見てごらん」。
天秤棒にぶら下げられて、丘を登って行く時、ひび割れ壷はお日様に照らされ、美しく咲き誇る道端の花に気づきました。
花は本当に美しく、壷はちょっと元気になった気がしましたが、ご主人様の家に着く頃 には、また水を半分漏らしてしまった自分を恥じて、水汲み人足に謝りました。
すると 彼は言ったのです。
「道端の花に気づいたかい?
花が君の側にしか咲いていないのに気づいたかい?
僕は君から零れ落ちる水に気づいて、君が通る側に花の種を蒔いたんだ。
そして君は毎日、僕達が小川から帰る時に水をまいてくれた。この2年間、僕はご主人様の食卓に 花を欠かした事がない。
君があるがままの君じゃなかったら、ご主人様はこの美しさで
家を飾る事はできなかったんだよ」
(作者不詳 菅原裕子訳)
