可能性を信じ

 前回、行動援護の資格について触れさせてもらいましたが

今回、その内容について少し書かせていただきたいと思います。

障害児支援をする時。

あるキャラクターを見ちゃうと買わずにはいられなくなる子が居るとします。

色鉛筆を買いに行く店に、そのキャラクターのグッズがある場合どうするか?

ヘルパーは、そのキャラクターが目に入らないような計画を立てるのが基本で

そのキャラクターがある店には行かないか、行ったとしても目に入らないような立ち位置をとる。

行動援護は準備が8割だそうで、計画を立てたり必要に応じ下見に行くのが原則。

その計画や下見をする時間、給料は出ないが 今後、行動援護の単価を上げてもらうよう訴えていくそう。

果たして単価が上がるか?というのも疑問ですが、見せないようにするやり方も疑問です。

前日に下見をしたところで、今日お店が改装されて変わってるかも知れない。

模様替えなどの予定があるか、お店に聞く? そこまでする必要あるかな〜

想定外の出来事なんて、よくあると思うんですけどね。

そのキャラクターを持った人がお店に来たりして(^_^;)

また、親御さんと出かけた時に、そのキャラクターが居たら?

いつも避けて通ってるから、それを見た時の反応は余計に強くなってる。

親も研修を受講しなくてはいけないですよね。 下見なんてしている余裕あるかな〜

それならいっそ、見ても大丈夫になった方がずいぶんと楽に生きれると思います。

パニックにならないように努めて、支援している時間何事もなく過ごすのが目標なのか。

行動援護に限らずほとんどの障害児支援が、このようなやり方をしていると思うのですが

全国的に間違った方向へ進んでいる気がしています。

本人の為に、何事もなくコトがスムースに運べるような配慮なんだろうけど

これに慣れてしまうと、少しでもうまくいかない事があるとパニックに陥りやすいですよね。

何事もなく順風満帆な人と、嵐の中を生き抜いてきた人。

本人が色々と出来るようになったり、ガマンしたりなど成長する事の方がどれだけ大事か。

障害児は、成人しようがまだまだ伸びしろがたくさんある。

それなのに、何も会得しないかのような扱い。

育むという事が全く入っていないのが、非常に違和感があります。

あるNGO機関の話をラジオで聞いた事があるのですが

途上国への支援の方法として、物品や金銭を行き渡らせるのでは

なく、現地の人へ様々な分野での技術を教える事が大事だと。

そりゃそうですよね。 限りある物は、なくなればまた必要になる。いつまでも終わらない。

それよりも、自分たちで出来る事を身につければ自立していけると。

ぽぽろの子たちが、完全に自立出来るとは思ってないけど

ひとつずつ自分で出来る事が増えていくのは、後の人生に広がりが持てます。

必要以上にやってあげるのは、その子の可能性を潰してる事になってしまう。

やってもらうのが当たり前になると、自分で出来る事もやってもらおうとし

自分がやって当たり前の事を指示されるだけで、怒る感情が出てきちゃう。

優しくするのは罪、って事。 意外に多いのかも知れない。

そうするよりは、自分で出来る事をちゃんとやってもらい、出来そうな事を頑張って会得してもらう。

何かあった時でも逃げない姿勢を教え、壁が高くて心が折れそうな時に支えられる存在でありたい。

いくつもの壁を一緒に乗り越えていくと信頼関係も築けるし、それが乗り越える力にもなるんですよね。

結局は人相手なんだという事を、基本に置いて考えて欲しいもんです。

我々が扱いやすいようにではなく、本人の人生の為に。

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